湘南色はかぼちゃ色
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1995-1996


1995-1996の二年を思い出す。


色々なことがあったようで、また同時になかったようでもある。
ベルギーでの生活は5年目、6年目となり流石に慣れたというところだろうか。

あの頃の僕は日本に住むことなんてことを想像すらしなかった。

車でよく外国にでかけた。
ジュネーブからボルドーにかけて、南仏を回った。
サルデーニャで素晴らしいバカンスをすごした。
フィレンツェの夜はうるさかった。


どうも日本人とは付き合いが難しかった。
ひとえに僕が日本語に不自由していたのが原因ではないかと、今になって思う。
酷くイライラすることもあった。普段は仲いいんだけれどもね。


たまに・・・あのまま向こうに住んでいたらどうなっていただろうかと思うことがある。
想像もつかない。今現在の僕自身は、日本に来てからの僕でありすぎる。





そういえば学校(現地校ね!)の廊下で同級生の足を引っ掛けたことがあった。
単純にどうなるのだろうかという興味半分で、嫌いな奴の足をひっかけ・・・ひっかかった。

大激怒。その日から絶交。学校帰りにそいつの親襲来。その親にマジギレされる。

そいつはなかなかの野郎で「パパは警察官なんだぞ!パパに行ってお前を×%@※」とか言う・・・ほらさ・・・よく漫画とかに出てくるじゃないか・・・そういう子だったんだよ。
まぁ嫌いだったのはそこらへんのことを含めてもろもろだったんだろうけど・・・

案の定、そいつの親出動ってなわけで内心pgrしている自分がいたのを思い出します。


――結構しょうもない奴だね!!




ある時、日本人学校の他の子達とゲンク(ヘンク)という町を観光した。
すると通りすがりのおばさんが息子だか孫だかに、


「あれがヤパネーセ(日本人)よ。ヤパネーセは戦争に負けたから云々かんぬん」


唖然。
怒りたかった。でもなんて怒りゃいい?
泣きたかった。でもなんで中傷されて泣かなきゃならないの?


僕は日本人なんだ。






ある時、学校の先生が"Yatcha, ハラキリってのはあれは一体なんなんだい?"と聞いてきた。

ごめん、ハラキリとか知らないから。っていうかそんなことしてたのか日本人。
まじでカルチャーショック

「日本人なのに日本のこと知らない」





小学校4年からは現地の学校でフランス語を習い始める。
フラマンとワロンという、かの国における深刻な対立をまともに意識するようになる。

アイデンティティという言葉は、簡単な問題ではない。





ある時、一番仲のいい友達に手紙をかけという授業があった。あれはまいった。
別段誰かと凄く仲が良かったわけではなかったのかもしれない。

かと思いきや、自宅まで遊びに行くような奴らが何人かいたわ。
クレヨンしんちゃんのゲームボーイソフトが置いてあって感激した覚えがある。

チョコビとかwwわかんねぇだろオイww





1997年。ほぼ6年が過ぎた頃に日本へ・・・帰国?いや入国?どっちが正しかったのかな(笑)

つづく
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この記事に対するコメント
チョコビとかwww
なついなwww

なんというか昔はいろいろと複雑だったようだけれどって要するにいろいろ書くのがマンドイんだが(おい、
そういう体験をできるのはきっとごく一部の人だろうし、どんな思い出もきっとこれからの糧になるぜ。実際国際的な意味でのカルチャーショックとか、知ることなく人生終える人だっているだろうし
【2009/01/17 14:57】 URL | S.O.L #tR0Y9Tco [ 編集]


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