湘南色はかぼちゃ色
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小学1年
小学校1年。ヨーロッパの学校なので新学期は9月に始まった。

新学期早々、学校行事で走ることになった。
僕の通っていた学校は公園の中にあった。公園の真ん中をドブ川が流れており、
川を挟んで両側にオランダ語系の学校とフランス語系の学校があった。
早い話、これは両校の合同行事であった。

ところがまぁ僕がベルギーを去る小学校4年までの4回、
一度たりとも向こうの学校と親交をもった覚えがない。
何かあったわけでもないのに嫌いな対象であった。

大会自体は...走ること、もとい運動がまるでだめおな人間なんで・・・


秋、自転車で公園内の坂道をすっとばしていたら(結構急な坂があった
なんかの拍子にハンドルのコントロールを失って派手に転がった
そしたら顔面と両手の甲にでっかいかさぶたができるはめになりましたとさ
(熱さまシート大のかさぶたを想像していただければ・・・)


4月。日本人学校の補習校に通い始める。
海外経験のある人は分かると思いますが、月曜日から金曜日までが全日校、
そして普段は現地の学校に通っている子の為に土曜日に開いているのが補習校です。

なにはともあれ、僕にとっては初めてといってもいい【ベルギーの日本人仲間】
であった彼らとの出会いは新鮮だった。

彼らの親の多くは、商社などに勤務していて海外駐在している人であり、
今思えば超がつくレベルの凄い人たちだったのだと思う。


ちなみにともかく勉強はできなかった。

国語なんて50点超えたらば万々歳
算数が世界共通なのが救いでした
多分そんなわけで算数が一番好きになった

さらに授業態度は今でも十分問題児として通用するレベルであり、
通知表が来るたびに先生からの一言欄が恐怖の対象であり続ける日々・・・
友達の中では特にのちのち再会することになるH.Hという男がイカす奴で

先生に向かって「先生どうせバイトでしょ?」とかいう始末
その頃は完全に【やべぇHさんまじパネェっす】なDQN脳だったので一緒に悪ノリ
そして通知表で逆襲されてお袋ぶちぎれるのルーティンな一年でした。

この頃テニススクール、絵描き教室、茶道教室に通ったり、国内のあちこちにでかけた。
お袋は教育熱心だったんだと思う。ありがたい限りだが、どうも稽古ごとは続かなかった。



1994年の夏、一時帰国した。
ベルギーの夏休みは7月1日から8月31日までかっきし2ヶ月あるので、
それを利用しての帰省となった。1994年の夏と言えば水不足

クソ暑い夏は初体験だった。母方の実家がある木曾で2ヶ月の大半を過ごした。

朝起きて外を走り回り、
昼飯を食っては外を走り回り、
カエルを捕まえては生き埋めにし、
青大将を見つけて石を投げて年寄りに怒られ(ヌシだとかなんとか
いとこと三輪車で坂道をかけおりてトラックにひかれかけ
生まれて初めての台風を経験し
頼み込んで2週間くらい学校に通わせてもらい(雪国の夏休みは短いのです)
相撲大会で一回戦負けし、

図鑑に載っている電車に初めて乗って(←結構重要
っていうか日本語の本が鉄道図鑑しかないとやたら詳しくなるのはしょうがないです><


帰ってきた。


ベルギーの学校では年度末(7月)にテストがあって、結果次第では留年が決まる。
8月には保護者面談があって、結果が知らされ、無事進級。

太っちょのケヴィン(ケヴィンは二人いた;どっちもいい奴)と愛しの(笑)エルンストが
凄く頭の良い子たちだとかいう情報を耳にする。


→ 頑張っちゃうもんね!(超絶単細胞


そんな小学一年生。友達はようやく20人?

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