湘南色はかぼちゃ色
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振り返ってみるてすt


思い出は美化される。美化されるだろうが、そこに僕の基礎はあるはずだ。

今「キソ」と打って「起訴」と変換された瞬間、正直嫌な気分になった。
どうしてそこまで法学が嫌いなのか。それにもまた理由があるはずだとは思う。


たかだか20年しか生きてきてないのだが、この20年間から見える僕の姿があるはずだ。


ということで、世の人もすなる自己分析といふものを、我もしてみむとてするなり、と。
こういう流れになるわけである。まぁ分析するに至る前に、今晩も寝れないから思い出を書くわけだ。
だからきっと、ここでの文章は自己分析なんかにはならないし、自分を晒すことに軽く喜び感じちゃってる変態趣味が満たされるだけだと思う。




◆幼稚園

・とりあえず、アジア人=中国人、と思われている世界に暮らしていた。
オランダ語の慣用表現に"まるで中国語を聞いているようだ"という言葉がある。
『お前の言ってることはてんでわからない』という意味で使われる。
要するに、アジア人なんていうのはてんでわからない奴ら、別世界の奴らっていうことらしい。

だからといって別にいじめられた記憶はない。
ただよく覚えているのは、最初は一人で電車ごっこを延々と繰り返していたことだ。

まぁ子供同士だし、喧嘩になることもあった。
言葉も通じぬ変な奴が一人、校庭で独り言を呟きながら走っているのだ。
正直僕が彼らの立場でもちょっかいの一つや二つ、出したくなる。
だが僕はもともと冗談のジの字も通じぬ石頭であり、さらに喧嘩は滅法弱い
さらに言葉が通じないときたもんだ。なかなかにいじめがいがある。

となると先生に助けを求めることが必要になるのだが、そこは先生、ハンデ一切無視
『Yatcha、ちゃんと言わなきゃ何が起きたかわかるはずがないじゃないか!』

そんな理由で、僕が最初に覚えた言葉は”Juffrouw”だった。
”Juffrouw Paskal”でパスカル先生(女性)という意味だ。



当時は印刷屋の2階に間借りする形で住んでいた。
Brusselse Steenweg43 Wemmel1780

道路の名はブラッセルの石の道。石の道とは即ち石畳の道。
アッピア街道を思い出していただけると分かりやすいかと。
今思えば身近に歴史ロマンがあったわけだ。



道の向かいにはギリシア料理屋があり、たまに儀式だかなんだかで皿を割る。
その音がやたら激しいのと、そこの家の車が凄いボロかったのを覚えている。
ボディはベコベコ、窓は一部ダンボールで代用していた。



1991年のクリスマスには隣の銀行が強盗にやられた。
初めて迎える異国の地でのクリスマスは、警報機の音と不安の中で迎えた。



僕の3歳というのはそんな日々だった。

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